2010年7月27日火曜日

そろそろ (ライオンズ 阿多夢)

ライオンズ

ブログ 

2010年七月26日

金曜日の授業の後に、エクスナーさんとボレッリさんと一緒に横浜文学館を見に行って、色々な日本の作家についての展示があった。私のお母さんとお父さんの両者が本を書いたから、私も若い時から本を書く夢があった。なぜかというと、自分でも答えられないけど、それは自分の体験した事を表す事の特別な力から来る者と言えばいいだろう。幼い頃には、他の人と喋るのは楽しかったが、年取ると、どんどん内向的な性格になった。同時に、時分の経験について日記および詩を書きたい気持ちが強くなってきた。大人への階段の一部と言えるだろう。

とにかく、横浜文学館に行って、自分の好きな三島由紀夫と夏目漱石の展示が見えた。私の最初の日本の文学の授業で、夏目漱石の『心』と『草枕』を読み、その二つの小説に感動した。漱石の『心』の登場人物の先生の寂しさや、流れている憂鬱な文章や、主人公の不安な憧れや、そのすべての特徴から忘れられない小説が作られた。私の最初読んだのは英訳だったが、横浜文学館で礎石が自分の手で書いた原稿があった。その古い原稿の上には、数得られないほど赤いペンで直したところが残っていた。漱石の自分の構造体編集の過程はその原稿に現れていた。やっぱり、彼は天才と言われているのに、編集は必要だったなと私は思った。何となく、リービ英雄の「日本の作家の面影を見ながら、自分の日本語の文学を書き上げた」という文を思い出した。執筆というのはだれかの跡という事は疑われない。そう思いながら、エクスナーさんと文学館から出て、留学生達と先生達とのハッピーアワーに通った。

ハッピーアワーには、色々な事について話したり、おいしいお酒を飲んだり、楽しんだりしました。先生達と学生達の皆さんは嬉しそうだった。今度の夏のプログラムは後2週間しかないので、留学生の大部分はもうすぐ自国に帰る。他の夏の学生も9月のプログラムに入るかもしれないけど、彼らの顔を見ると、私が名前をしている人たちは10人ぐらいしかないと分かった。大学の時には、多分私はもっと社交的な人だったが、大学院から卒業をした後で、その態度が変わった。そう考えると、「やっぱり自分のお父さんになってしまう」と思った。パーティーの後で、私とホムズィーさんと他の学生達(悪いけど、彼らの名前を覚えない)と一緒にカラオケに行った。あそこで、何時もとの同じ通りに、まじめな態度を落として、名前の知らない人の一緒に歌った。(歌うのと話すのはもちろん違うね)。その後は、ホムズィーさんと一緒にニュージーランドの大使館にあった誕生日のパーティーに行って、あそこでもう一度はじめてあった人達と一緒に音楽を作った。私はその人たちにもう一度会うかどうか、分からないけど、少しだけ一人ずつの顔を覚えており、私の頭に一緒に弾いた曲のメロディーの跡はまだ少し残っている。

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